いきなりはじまった葬儀
b0021108_20185637.jpg翌朝、目が覚めると犬とバッチーンと目線が合う。床に直接マットレスを置いて寝ているので、目の前で寝ている黒い大きな犬の姿が目に飛び込んでくる。Djalu'の所で放し飼いになっている4-5匹いる犬のボスだ。「おまえが夜中にカリカリカリカリ足をコンクリートにこする音で目が覚めたんだよ!」という念を送るも、面倒くさそうにちらっと上目使いに見て「なんのこと?」ってツラをしている。(写真はラリーの犬。俗名「アーミーカラー」)

顔を洗って、彼らがヨォルング・カップと呼ぶかなり大きめのホーローのカップに、ティーバックとたっぷりの砂糖と粉ミルクをつっこんでお湯を注ぎ、そしてすぐ飲める温度にするために最後に水を足す(これがいかにもアボリジナルらしい)。これがヨォルング式の朝のはじまりだ。日本で自分が紅茶を飲む時には、決してこんな紅茶の入れ方はしないのだが、インド同様、暑い場所ではなぜかこういう濃くて甘い紅茶がうまいから不思議だ。

カップを片手に家の前にひろがる浜辺に歩き出し、すでに起きて浜辺の木陰にイスをおいてすわっているDjalu'の横に座る。するとおもむろに「今日は昼からYirrkalaで葬儀がある。Mokulが亡くなったんだ。」と言う。こういう時にいつも感じるのは、彼らは身内が亡くなった時に気落ちしてふさぎこんだりせず、なぜか妙にあっけらかんとしているという事だ。死者の魂魄がこの世に再来することを信じているアボリジナル文化ならではの感覚なのだろうか.....と不思議に想う。

昼すぎには6人乗りのランドクルーザーにつめこめるだけ人をつめこみ、ワゴンタイプのタクシーを呼んで、ゴザやイダキをつみこんでYirrkalaに向かった。現地に着くとすでに演奏をしているグループがあったが、その場所ではなく儀礼の中心に近い所にDjalu'は陣を取った。後から聞いた話によると、先にきていたのはRirratjinguクランのグループだったそうだ。離れた所でRirratjinguのManikay(唄)とYidakiが演奏され、目の前ではGalpuの面々が自分たちのManikayを唄っている。

儀礼は日が沈んだ後も続き、Bunggulmi(ダンサー)たちのかけ声と、ソングマンの唄声、そしてYidaki奏者の演奏には徐々に熱が帯び始め、クライマックスでは激しく壮絶なダンスが......。その内容をここで書くことはできないが、死者を弔うという事にこれほどまでにエネルギーを使うヨォルングの人たちをどこかうらやましく想った。

この時にDjalu'が持って行ったイダキは、ラリーが作ったイダキでピッチはF#/Gだった。そしてもう一本、マイケルという白人の私物のDjalu作の古いイダキ(4-5年前)で、ピッチはD#/E。その後、このイダキに大きな変化が起きる......。
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by earth-tube | 2008-04-24 20:21 | 店長の日記
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